【ワイナリーを知る・第3回】シャトー・メルシャン ワインづくり140年の軌跡と未来 今こそ、ぶどう畑に戻ろう

日本のワイン造りの歴史が詰まったシャトー・メルシャン資料館

1877年(明治10年)、日本初の民間ワイナリー「大日本山梨葡萄酒会社」が現在の甲州市勝沼町に創業、同年に土屋龍憲と高野正誠をフランスに派遣しブドウ栽培とワイン醸造を学ばせた。79年に帰国した二人に宮崎光太郎も加わりワイン造りを本格的に始めたが、ワインを日本人の食卓に浸透させるのは難しく、86年同社は解散。88年、宮崎と土屋は甲斐産商店を起こし、さらに宮崎は92年、自宅の敷地内に宮崎醸造所を創業した。
この醸造所がやがてメルシャンへとつながる。ワイン愛好家が一度は訪ねるシャトー・メルシャンのワイン資料館は旧宮崎第二醸造所であり、向かいの宮光園主屋が宮崎の自宅であった。シャトー・メルシャンのルーツは日本初の民間ワイナリーにある。

シャトー・メルシャン 桔梗ヶ原メルロー シグナチャー ポン・デ・ザール2013
故ポール・ポンタリエ氏とシャトー・メルシャン醸造チームがコラボレーションした最後のワイン
時が流れ、日本のワイン元年とよばれる1975年(果実酒の消費量が甘味果実酒の消費量を上回った)以降、メルシャンは常に醸造手法において他社をリードし、手中に収めた技術を広く他社に公開してきた。その中でもシュール・リー製法を他社に先駆け取り入れ甲州東雲シュール・リー1984として発売、のちにワイン酒造組合を通してその技術を公開した。
2005年にリリースした甲州きいろ香2004では、甲州ブドウの中に潜んでいた柑橘系の香りを、酵母のセレクションと嫌気的手法(果汁の段階から酸素に触れさせない)でワインにもたらし、その手法も公開、今では日本のワイン造りにおいてスタンダードな手法の一つとなっている。
ほかにも甲州の樽発酵、甲州グリ・ド・グリでは果皮とともに発酵させる赤ワインの手法を用いたワイン醸造などの醸造手法確立にも大きく寄与している。
1998年にはシャトー・マルゴーのディレクター、ポール・ポンタリエ氏をコンサルタントに迎えた。それまではメルローでより力強いワインを目指していたがポンタリエ氏の進言を取り入れ「フィネス&エレガンス」のあるワイン造りへと舵を切った。ポンタリエ氏は日本の最上ワインとして目指すべきは力強さではなく、日本庭園のように複雑で深みがあり調和のとれたものであるとした。やがてメルシャンのフラッグシップ・ワイン、桔梗ヶ原メルローはより洗練され深みのあるワインへと進化した。
1984年に開いた城の平ヴィンヤード
城の平から勝沼の街を望む
 
夏のマリコ・ヴィンヤード

醸造手法とスタイルでは格段の進化を遂げたメルシャン。栽培においてもここで大きく飛躍している。
1976年に、メルシャンはメルローを塩尻の契約栽培に導入、日本初の大規模欧州系品種栽培の先鞭をきり、勝沼町南側の山際に位置する自園の城の平ヴィンヤードでカベルネ・ソーヴィニョンに挑戦。
2003年には長野県上田市の丸子に椀子(マリコ)ヴィンヤードを開園、日本では数少ないシラーやソーヴィニヨン・ブランからすでに素晴らしいワインが生まれている。2016年には塩尻の片丘地区に、17年には勝沼の北東にそびえる大菩薩嶺中腹の甲州市上小田原に自社管理畑を開き、ワイン専用種を育てる。自社管理畑をブドウ栽培の適地に確実に増やしている。

シャトー・メルシャン 岩崎甲州 シャトー・メルシャンのある勝沼町岩崎の地で高野家と土屋家が育てた甲州から造る。
きいろ香の造りに適した甲州種を県内各地で探し、その過程で把握した甲州種の地区ごとの個性が今、メルシャンが造る各種甲州に活かされている。シャトー・メルシャン岩崎甲州を例にあげてみよう。岩崎地区の甲州は柑橘類を思わせるアロマが豊かで、樽発酵熟成に由来するバニラやバター、トーストの香りと見事に調和している。樽を使ったワインは重くなりがちだが、フレッシュな酸味とほろ苦さが後味をしめメリハリが効いている。因みにこのぶどうは大日本山梨葡萄酒会社の祖である高野正誠と土屋龍憲の生家のブドウ園で子孫たちが育てたブドウだ。
仕込み式
安蔵光弘チーフワインメーカー

安蔵光弘チーフワインメーカーは、2017年の仕込み式に臨み、「これまでは醸造手法に力を入れていた。造り方で違いを出すことに。これからは産地ごと、土地ごとの特徴を出すことに力をいれる。これは醸造法による差別化から、テロワールにシフトするということ」と自らテロワールを前面に出すことを高らかに宣言した。
源流から140年、醸造手法を磨き、原点である畑へと回帰するメルシャン、まだまだ進歩の途上、新しく拓く畑からどんなワインを生み出すのか、目を離せない。

ワイナリー情報

住所:山梨県甲州市勝沼町下岩崎1425-1